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秩父機織唄・青葉はるさん

青葉はるさんが亡くなったと、息子さんの利夫さん、秩父の井上研史さんから連絡をいただいた。青葉はるさんは、秩父機織唄を歌われる方で、今から30年と少し前、私の修士論文のテーマが「秩父機織唄」だったので、秩父を訪ねた時に出会った方だ。
「秩父機織唄」の著書もある井上光三郎さんが青葉さんと会わせて下さった。お宅にもお邪魔した。井上さんと青葉さんを、渋谷ジャンジャン、紀伊国屋ホールでの私のコンサートにゲストでお招きしたこともあった。はるさんは張りのある声で、“秩父機織唄”を、哀しく、またユーモアたっぷりに歌って下さった。はるさんは、大正2年に生まれ、12歳で機屋に奉公に出た。機屋に奉公にでた最後の世代と言っていい。だから、“秩父機織唄”を歌う最後の方だった。
昨年9月、秩父で初めてコンサートをした時、私は、恐る恐るはるさんから教えてもらった“秩父機織唄”を地元で歌った。客席には、息子の利夫さんも見えていた。はるさんは、残念ながらお見えではなかったが、コンサートの模様を知り大喜びだったと利夫さんからご報告をいただいた。同封されていた写真は笑顔いっぱいのものだった。
はるさんのところにお邪魔したいと思っていた。でも、なかなか伺えず、今回のご連絡をいただいてしまった。ショックだった。何故すぐに伺わなかったのだろう・・・。心残りは、本当にいやだ。

「親のためだと、十年年季、主のためだと、また二年よ~」。
青葉はるさんに教えてもらった“秩父機織唄”の数々。
はるさんの声が今も私の中で聞こえて来ます。
これから、私が大切に歌って行きますね。多少、吉岡風になってしまうかもしれませんが、お許しを!!
「いいよ、いいよ」、また、はるさんの声が聞こえてくるようです。
大正、昭和、平成を生きたはるさんの98年の生涯。そこにはいつも“秩父機織唄”がありました。はるさんを通して、機織り娘たちの強い意志と美しい歌声に出会えたことに感謝しています。はるさん、どうもありがとうございました。

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はるばあのひ孫

こんばんわ。
初めてブログを拝見させていただき、ついついコメントさせていただきました。
実は私、記事に書いていただいた青葉はるの曾孫のものです。
実家は秩父にあり現在は東京に住んでおります。昨日は、はるばあ(私たちはそう呼んでいました。)の通夜のため秩父に帰省しておりました。
改めてお通夜の席ではるばあがどんな人生を歩んできたのかを知り、秩父機織唄について調べていたところこちらのブログを見つけた次第です。

はるばあはとてもいい顔をしていました。若いときに戦争で亡くした旦那さんに天国でやっと会えたのでしょう。たくさんの家族、親戚に囲まれたにぎやかなお通夜でした。
私自身今年娘が生まれ、来週の秩父夜祭の際に帰省した時にはるばあに会いに行き、娘にはるばあを会わせたかったのと、はるばあ、おばあちゃん、お母さん、私、娘の親子5代の写真を撮りたいと思っていた矢先の事でとても残念だったのですが、5ヶ月の娘をお通夜にも連れていき、一緒に手を合わせられたのはよかったと思っております。

長いコメントになってしまいすみません。
はるばあのことを記事にしてくださりありがとうございました。
なんだかこの記事をみつけて嬉しくなりました。
これからも是非秩父機織唄を歌い続けていってください。

by はるばあのひ孫 (2011-11-22 21:51) 

Shigemi

コメントをいただきどうもありがとうございました。読ませていただき、胸が熱くなってまいりました。私もお通夜に伺いたかったのですが、26日にコンサートを控えているので断念いたしました。はるさんに教えていただいた”秩父機織唄”、大切に歌っていきます。
by Shigemi (2011-11-22 23:53) 

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