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佳いお年を!!
今年もあと僅か。今年は、3月10日に原宿ラ・ドンナで「こころ・もう春」と言うコンサートをした次の日に震災が起こりました。そして、こころに春が来ないまま新しい年を迎えようとしています。今年は、3月11日の前の1~2月の記憶がないから不思議です。
山形県山形市、岩手県北上市での支援コンサート、茨木のり子さんが眠る山形県鶴岡市でのコンサート・・・・・・・・・・・浜離宮朝日ホールのコンサートに駆けつけてくださった、岩手県の女声コーラスのみなさま、大槌町出身の詩人東梅洋子さん・・・・・あたたかい出会いに心より感謝いたしております。
これからも、被災された方々と明るい方へ、ともに歩かせていただきたいと思っております。本当の笑顔が繋がるその日まで・・・。
11月26日、吉岡しげ美音楽詩コンサート「明日へ・・・」の募金箱に寄せられた総額88617円(立ち会い2名)、カンパ14499円、7月5日STBでの七夕コンサートの募金16884円、合計120000円を、「吉岡しげ美コンサート」より、「いわての学び希望基金」に12月30日付けで寄付させていただきました。
どうもありがとうございました!
年末は大掃除がテーマの日々。断捨離は分かっているけれど、すべて流された方々、寒い被災地を思うと何一つ捨てられず、今年もあふれ返るものたちと共に年を越します。ものたちに囲まれているって幸せなこと、そんな気持ちです。
大みそかは、毎年、母を連れて父のお墓参り。今年はたくさん父に話すことがありました。
みなさま、佳いお年をお迎えください!!
今年もあと4時間、まだまだやることたくさん~の私です。ぜ~ぜ~。
山形県山形市、岩手県北上市での支援コンサート、茨木のり子さんが眠る山形県鶴岡市でのコンサート・・・・・・・・・・・浜離宮朝日ホールのコンサートに駆けつけてくださった、岩手県の女声コーラスのみなさま、大槌町出身の詩人東梅洋子さん・・・・・あたたかい出会いに心より感謝いたしております。
これからも、被災された方々と明るい方へ、ともに歩かせていただきたいと思っております。本当の笑顔が繋がるその日まで・・・。
11月26日、吉岡しげ美音楽詩コンサート「明日へ・・・」の募金箱に寄せられた総額88617円(立ち会い2名)、カンパ14499円、7月5日STBでの七夕コンサートの募金16884円、合計120000円を、「吉岡しげ美コンサート」より、「いわての学び希望基金」に12月30日付けで寄付させていただきました。
どうもありがとうございました!
年末は大掃除がテーマの日々。断捨離は分かっているけれど、すべて流された方々、寒い被災地を思うと何一つ捨てられず、今年もあふれ返るものたちと共に年を越します。ものたちに囲まれているって幸せなこと、そんな気持ちです。
大みそかは、毎年、母を連れて父のお墓参り。今年はたくさん父に話すことがありました。
みなさま、佳いお年をお迎えください!!
今年もあと4時間、まだまだやることたくさん~の私です。ぜ~ぜ~。
どうもありがとうございました
大変ご報告が遅れてしまいましたが、11月26日のコンサート「明日へ・・・」、無事終わりました。スタッフ、キャストとも、とても良い雰囲気で終了することができました。感謝の想いでいっぱいです。
岩手からかけつけてくださった合唱団のみなさんの笑顔、胸を張って、堂々と登場しステージに立っている姿、本当に素敵でした。そして、歌声はやわらかくて、優しくて、きれいで・・・。歌うってこういうことなのだな~と、改めて教えていただきました。
合唱指揮の松田順子先生の合唱団をまとめ、引っ張って行く大きな力に感動、そして美しさにうっとり。
コンサート終演後、合唱団のみなさんは、募金箱を持ってロビーに立って下さいました。本当に、どうもありがとうございました。
合唱団のみなさん、松田順子先生、大槌町出身の詩人東梅洋子さん・・・心からあふれ出る笑顔いっぱいで、帰られました。
吉行和子さんもチェロ、バイオリン奏者も、楽しかった、うれしかった、どうもありがとう、と。
ロビーでのCD,書籍のサインコーナーで、たくさんの方々とお話出来ました。初めての方、懐かしい方、同級生・・・とても嬉しいひとときでした。ずいぶん遠いところから来て下さった方も・・・。本当にありがたい。
あたたかい想いがひとつになり、まずは、何よりの結果となりました。
相変わらず、私自身の演奏etcは反省すべき点が多々ありますが・・・・。
さすがに、コンサート翌日は、疲れのためか、体調不良で寝込んでしまいましたが、
今回は、それほど落ち込まずにコンサート後の日々を過ごしました。
私の日本の女性詩人を歌う活動の第1回目のコンサートは、福島県福島市の新開ゆり子さん、岩手県北上市の小原麗子さんの詩に作曲した「“はばたき”東北に住むふたりのおんなの詩より」でした。34年前のことです。
4月から、震災支援のチャリティ―コンサートに参加したり、自分で企画してきましたが、今回、女性詩人の詩を歌う活動のルーツである東北と自分が繋がっているのだな~。20代の頃から、ずっと繋がっていたんだな~、としみじみ想い、素直に感じることができました。
これからも、ありのままの気持ちを表現していこうと、何だか爽やかな気持ちにもなっています。
「いわて学びの希望基金」への寄付が終了しましたらその額も含めまたご報告します!!
2011.11.26浜離宮朝日ホールプログラム
<プロローグ>
♪1・「生きる理由」より(詩・新川和江)
♪2・~チェロソロ~「鳥の歌」
○朗読・~乗り越えよう震災~大槌町出身東梅洋子の詩集「うねり」より
吉行和子朗読
「三月三十一日の午後」「今」「あの日が現実か」「友人の電話」「在所」「うねり5」
<金子みすゞ・いのちを想う>
♪3・積つた雪」
♪4・「雨のあと」~「お日さん雨さん」~「草原」
♪5・「星とたんぽぽ」合唱
♪6・「わらい」合唱
♪7・「私と小鳥と鈴と」吉岡+合唱団+会場のみなさま
♪8・~バイオリン・チェロ~「G線上のアリア」
<茨木のり子・いのちを凛として生きる>
♪9・「生きているもの・死んでいるもの」
♪10.・「あほらしい唄」
○朗読 ・詩集「歳月」より、吉行和子朗読「レインコート」「歳月」
○朗読・「わたしが一番きれいだったとき」、吉行和子一節朗読
♪11・「わたしが一番きれいだったとき」
♪12・「六月」
♪13・~ピアノ・バイオリン・チェロ「さよなら、私の愛」
<いのちと共に>
♪14・「枕草子」吉岡(随筆・清少納言)
♪15・「いのち」吉岡(詩・工藤直子)
♪16・「あした」吉岡(詩・工藤直子)
<エピローグ>
♪17・「このみち」→歌+朗読+合唱(金子みすゞ)

コンサートが終わって寝込んだ翌日、母が網膜剥離の手術、入院をすることになり、それから、一昨日の13日まで、大学、もろもろの仕事と毎日の病院通いでした。10月から、3回目の手術、入院だったのです。めでたく母も退院して、昨日は、神楽坂女声合唱団のディナーショウも無事に終わりました。神楽坂、いや~上手だった!!重厚、時には軽く、明るく、やさしく・・・。ブラボー!本当にうれしかったな~!!
今回私は、音楽監督と金子みすゞを歌う演奏者の両方だったので、気が休まる暇ナシ!でしたが・・・。そのせいか、帰宅してからも、合唱団の歌声が頭の中でエンドレス状態・・・・。結局、朝まで眠れず大学行きとなりました。
なのに大学から帰ってきて、いま、こうしてブログ書いているのだから・・・・・。まだ興奮しているのかしら。なかなかへろへろにならない感じ。
明日は、歯を2本抜く予定だというのに・・・。
岩手からかけつけてくださった合唱団のみなさんの笑顔、胸を張って、堂々と登場しステージに立っている姿、本当に素敵でした。そして、歌声はやわらかくて、優しくて、きれいで・・・。歌うってこういうことなのだな~と、改めて教えていただきました。
合唱指揮の松田順子先生の合唱団をまとめ、引っ張って行く大きな力に感動、そして美しさにうっとり。
コンサート終演後、合唱団のみなさんは、募金箱を持ってロビーに立って下さいました。本当に、どうもありがとうございました。
合唱団のみなさん、松田順子先生、大槌町出身の詩人東梅洋子さん・・・心からあふれ出る笑顔いっぱいで、帰られました。
吉行和子さんもチェロ、バイオリン奏者も、楽しかった、うれしかった、どうもありがとう、と。
ロビーでのCD,書籍のサインコーナーで、たくさんの方々とお話出来ました。初めての方、懐かしい方、同級生・・・とても嬉しいひとときでした。ずいぶん遠いところから来て下さった方も・・・。本当にありがたい。
あたたかい想いがひとつになり、まずは、何よりの結果となりました。
相変わらず、私自身の演奏etcは反省すべき点が多々ありますが・・・・。
さすがに、コンサート翌日は、疲れのためか、体調不良で寝込んでしまいましたが、
今回は、それほど落ち込まずにコンサート後の日々を過ごしました。
私の日本の女性詩人を歌う活動の第1回目のコンサートは、福島県福島市の新開ゆり子さん、岩手県北上市の小原麗子さんの詩に作曲した「“はばたき”東北に住むふたりのおんなの詩より」でした。34年前のことです。
4月から、震災支援のチャリティ―コンサートに参加したり、自分で企画してきましたが、今回、女性詩人の詩を歌う活動のルーツである東北と自分が繋がっているのだな~。20代の頃から、ずっと繋がっていたんだな~、としみじみ想い、素直に感じることができました。
これからも、ありのままの気持ちを表現していこうと、何だか爽やかな気持ちにもなっています。
「いわて学びの希望基金」への寄付が終了しましたらその額も含めまたご報告します!!
2011.11.26浜離宮朝日ホールプログラム
<プロローグ>
♪1・「生きる理由」より(詩・新川和江)
♪2・~チェロソロ~「鳥の歌」
○朗読・~乗り越えよう震災~大槌町出身東梅洋子の詩集「うねり」より
吉行和子朗読
「三月三十一日の午後」「今」「あの日が現実か」「友人の電話」「在所」「うねり5」
<金子みすゞ・いのちを想う>
♪3・積つた雪」
♪4・「雨のあと」~「お日さん雨さん」~「草原」
♪5・「星とたんぽぽ」合唱
♪6・「わらい」合唱
♪7・「私と小鳥と鈴と」吉岡+合唱団+会場のみなさま
♪8・~バイオリン・チェロ~「G線上のアリア」
<茨木のり子・いのちを凛として生きる>
♪9・「生きているもの・死んでいるもの」
♪10.・「あほらしい唄」
○朗読 ・詩集「歳月」より、吉行和子朗読「レインコート」「歳月」
○朗読・「わたしが一番きれいだったとき」、吉行和子一節朗読
♪11・「わたしが一番きれいだったとき」
♪12・「六月」
♪13・~ピアノ・バイオリン・チェロ「さよなら、私の愛」
<いのちと共に>
♪14・「枕草子」吉岡(随筆・清少納言)
♪15・「いのち」吉岡(詩・工藤直子)
♪16・「あした」吉岡(詩・工藤直子)
<エピローグ>
♪17・「このみち」→歌+朗読+合唱(金子みすゞ)

コンサートが終わって寝込んだ翌日、母が網膜剥離の手術、入院をすることになり、それから、一昨日の13日まで、大学、もろもろの仕事と毎日の病院通いでした。10月から、3回目の手術、入院だったのです。めでたく母も退院して、昨日は、神楽坂女声合唱団のディナーショウも無事に終わりました。神楽坂、いや~上手だった!!重厚、時には軽く、明るく、やさしく・・・。ブラボー!本当にうれしかったな~!!
今回私は、音楽監督と金子みすゞを歌う演奏者の両方だったので、気が休まる暇ナシ!でしたが・・・。そのせいか、帰宅してからも、合唱団の歌声が頭の中でエンドレス状態・・・・。結局、朝まで眠れず大学行きとなりました。
なのに大学から帰ってきて、いま、こうしてブログ書いているのだから・・・・・。まだ興奮しているのかしら。なかなかへろへろにならない感じ。
明日は、歯を2本抜く予定だというのに・・・。
岩手勢+東京の面々=「明日へ・・・。」
さて、いよいよ明日、コンサート「明日へ・・・」。
岩手からは、「北上・コーラスせせらぎ」「女声合唱団花野」、指揮の松田順子先生、ピアノ伴奏の伊藤礼恵さん、そして、震災後すぐに故郷大槌への鎮魂詩を書き、詩集「うねり」を出版した東梅洋子さんも駆けつけてくださる。みなさん、朝、はや~い新幹線に乗って。
我々東京の面々は、9時から仕込みに入り、順次リハ―サル。受付準備。14時開演なので、大忙しだ。
東北の方々は、何となく静かなので、たくさんでもワイワイガヤガヤにはならないけれど、みんなニコニコしていて、会えるのが楽しみ!!北上市での9月23日のコンサートから、2か月。東京コンサートでの再会!!
合唱団、朗読の吉行和子さん、チェロ、バイオリン・・・・・うれしいな。
お昼のお弁当が、60個以上。今回のコンサート、たくさんのひとがかかわっている。みんな想いは一緒だ。
すごいぞ!
さて、が・ん・ば・る・ぞ~~~~。
当日寄せられた募金は震災で親を失った子供たちの就学資金として、岩手県「いわて学びの希望基金」に寄付させて頂きます。(9月23日の北上市のコンサートでは、343000円も寄付できました)
いつもコンサートを迎える時って、孤独感でいっぱい。
今回は、孤独感より責任重大の不安感。私がしっかり引っ張っていかないと成立しないもの。
特に、今回、私のコンサートに初めていらっしゃる方が多いので、不安・不安…。
でも、今回のコンサートは、みんなで「明日へ…」。
キャスト、スタッフ、そして観客の方々とみんなでいまを共有して、生きていることが嬉しくなるようなたっぶりとした時間を過ごせたら最高なんだ!
そう!そんなコンサートにきっとなるはず。
そんな素敵な明日か迎えられるように、今日、もうひと頑張りだ!
明日へ向かって、
わっさか、わっさか…。
吉岡しげ美 音楽詩コンサート「明日へ・・・」
詩人たちの紡いだ言の葉 吉岡しげ美の音の葉 生きる力 明日への想いをうたう たくさんのいのちへ
●会場:浜離宮朝日ホール
●日時:11月26日(土)開場13:30 開演:14:00
●料金:前売 3800円(当日4300円) 学生2500円(当日3000円)全席自由
●出演:吉岡しげ美(ピアノ弾き語り・作曲) 佐久間大和(ヴァイオリン)、町田正行(チェロ)
●特別出演:朗読・吉行和子(女優)
●友情出演:合唱 北上・コーラスせせらぎ(岩手県北上市)、女声合唱団花野(岩手県花野(岩手県花巻市) 指揮:松田順子
● 主催:朝日新聞社・吉岡しげ美コンサート企画グループ
問い合わせ:
吉岡しげ美オフィス:03-5276-9388
岩手からは、「北上・コーラスせせらぎ」「女声合唱団花野」、指揮の松田順子先生、ピアノ伴奏の伊藤礼恵さん、そして、震災後すぐに故郷大槌への鎮魂詩を書き、詩集「うねり」を出版した東梅洋子さんも駆けつけてくださる。みなさん、朝、はや~い新幹線に乗って。
我々東京の面々は、9時から仕込みに入り、順次リハ―サル。受付準備。14時開演なので、大忙しだ。
東北の方々は、何となく静かなので、たくさんでもワイワイガヤガヤにはならないけれど、みんなニコニコしていて、会えるのが楽しみ!!北上市での9月23日のコンサートから、2か月。東京コンサートでの再会!!
合唱団、朗読の吉行和子さん、チェロ、バイオリン・・・・・うれしいな。
お昼のお弁当が、60個以上。今回のコンサート、たくさんのひとがかかわっている。みんな想いは一緒だ。
すごいぞ!
さて、が・ん・ば・る・ぞ~~~~。
当日寄せられた募金は震災で親を失った子供たちの就学資金として、岩手県「いわて学びの希望基金」に寄付させて頂きます。(9月23日の北上市のコンサートでは、343000円も寄付できました)
いつもコンサートを迎える時って、孤独感でいっぱい。
今回は、孤独感より責任重大の不安感。私がしっかり引っ張っていかないと成立しないもの。
特に、今回、私のコンサートに初めていらっしゃる方が多いので、不安・不安…。
でも、今回のコンサートは、みんなで「明日へ…」。
キャスト、スタッフ、そして観客の方々とみんなでいまを共有して、生きていることが嬉しくなるようなたっぶりとした時間を過ごせたら最高なんだ!
そう!そんなコンサートにきっとなるはず。
そんな素敵な明日か迎えられるように、今日、もうひと頑張りだ!
明日へ向かって、
わっさか、わっさか…。
吉岡しげ美 音楽詩コンサート「明日へ・・・」
詩人たちの紡いだ言の葉 吉岡しげ美の音の葉 生きる力 明日への想いをうたう たくさんのいのちへ
●会場:浜離宮朝日ホール
●日時:11月26日(土)開場13:30 開演:14:00
●料金:前売 3800円(当日4300円) 学生2500円(当日3000円)全席自由
●出演:吉岡しげ美(ピアノ弾き語り・作曲) 佐久間大和(ヴァイオリン)、町田正行(チェロ)
●特別出演:朗読・吉行和子(女優)
●友情出演:合唱 北上・コーラスせせらぎ(岩手県北上市)、女声合唱団花野(岩手県花野(岩手県花巻市) 指揮:松田順子
● 主催:朝日新聞社・吉岡しげ美コンサート企画グループ
問い合わせ:
吉岡しげ美オフィス:03-5276-9388
秩父機織唄・青葉はるさん
青葉はるさんが亡くなったと、息子さんの利夫さん、秩父の井上研史さんから連絡をいただいた。青葉はるさんは、秩父機織唄を歌われる方で、今から30年と少し前、私の修士論文のテーマが「秩父機織唄」だったので、秩父を訪ねた時に出会った方だ。
「秩父機織唄」の著書もある井上光三郎さんが青葉さんと会わせて下さった。お宅にもお邪魔した。井上さんと青葉さんを、渋谷ジャンジャン、紀伊国屋ホールでの私のコンサートにゲストでお招きしたこともあった。はるさんは張りのある声で、“秩父機織唄”を、哀しく、またユーモアたっぷりに歌って下さった。はるさんは、大正2年に生まれ、12歳で機屋に奉公に出た。機屋に奉公にでた最後の世代と言っていい。だから、“秩父機織唄”を歌う最後の方だった。
昨年9月、秩父で初めてコンサートをした時、私は、恐る恐るはるさんから教えてもらった“秩父機織唄”を地元で歌った。客席には、息子の利夫さんも見えていた。はるさんは、残念ながらお見えではなかったが、コンサートの模様を知り大喜びだったと利夫さんからご報告をいただいた。同封されていた写真は笑顔いっぱいのものだった。
はるさんのところにお邪魔したいと思っていた。でも、なかなか伺えず、今回のご連絡をいただいてしまった。ショックだった。何故すぐに伺わなかったのだろう・・・。心残りは、本当にいやだ。
「親のためだと、十年年季、主のためだと、また二年よ~」。
青葉はるさんに教えてもらった“秩父機織唄”の数々。
はるさんの声が今も私の中で聞こえて来ます。
これから、私が大切に歌って行きますね。多少、吉岡風になってしまうかもしれませんが、お許しを!!
「いいよ、いいよ」、また、はるさんの声が聞こえてくるようです。
大正、昭和、平成を生きたはるさんの98年の生涯。そこにはいつも“秩父機織唄”がありました。はるさんを通して、機織り娘たちの強い意志と美しい歌声に出会えたことに感謝しています。はるさん、どうもありがとうございました。
「秩父機織唄」の著書もある井上光三郎さんが青葉さんと会わせて下さった。お宅にもお邪魔した。井上さんと青葉さんを、渋谷ジャンジャン、紀伊国屋ホールでの私のコンサートにゲストでお招きしたこともあった。はるさんは張りのある声で、“秩父機織唄”を、哀しく、またユーモアたっぷりに歌って下さった。はるさんは、大正2年に生まれ、12歳で機屋に奉公に出た。機屋に奉公にでた最後の世代と言っていい。だから、“秩父機織唄”を歌う最後の方だった。
昨年9月、秩父で初めてコンサートをした時、私は、恐る恐るはるさんから教えてもらった“秩父機織唄”を地元で歌った。客席には、息子の利夫さんも見えていた。はるさんは、残念ながらお見えではなかったが、コンサートの模様を知り大喜びだったと利夫さんからご報告をいただいた。同封されていた写真は笑顔いっぱいのものだった。
はるさんのところにお邪魔したいと思っていた。でも、なかなか伺えず、今回のご連絡をいただいてしまった。ショックだった。何故すぐに伺わなかったのだろう・・・。心残りは、本当にいやだ。
「親のためだと、十年年季、主のためだと、また二年よ~」。
青葉はるさんに教えてもらった“秩父機織唄”の数々。
はるさんの声が今も私の中で聞こえて来ます。
これから、私が大切に歌って行きますね。多少、吉岡風になってしまうかもしれませんが、お許しを!!
「いいよ、いいよ」、また、はるさんの声が聞こえてくるようです。
大正、昭和、平成を生きたはるさんの98年の生涯。そこにはいつも“秩父機織唄”がありました。はるさんを通して、機織り娘たちの強い意志と美しい歌声に出会えたことに感謝しています。はるさん、どうもありがとうございました。
コンサートは、1回きり・・・。
あれはどうなっているかしら、あれは大丈夫?まだあれをしてない、あれをしなくちゃ、それにしても、お客様はどのくらいみえるのかしら?心配と不安だらけ。やたらと細かいことが気になり、心が落ち着くひまがない。自分がプロデュースするコンサートは、直前までいつもこんな調子で慌てふためいている。ドシンとしたところが無いんだなー私って。普段から眠れなくて困っているのに、ますますヒートアップ!睡眠導入剤さえ効かなくなってくる。全くピンチ!11月26日のコンサートを控え、今まさにその状態。そして、ゴールは舞台で演奏すること。練習しなければ、練習しなければ、曲ができない!とさらに焦る。時間が無い!時間が無い!と。気が付けば、いつも自分を追い込んでいる。こんな状態でプロデュースコンサートを年平均2~3回、34年間も続けているからストレスが悪さして乳ガンになったのかもね、と根拠のない自己診断をしたりもする。病気の直後はもっとゆったり、ゆっくり生きていこうと決心したのに、いつのまにかもと通り。喉元過ぎれば・・・・です。歳もとってきているわけだし、これは好ましくない繰り返しであることは確か。今秋は、母親が目の手術で、4泊5日ずつ二回大学病院に入院したので、ますます時間(心?)の余裕がなくなり、あたふた。昨日も診察があり病院に付き添っていったが、待ち時間は4時間。「娘さんの付き添いでいいですね~」と、待合室で言われても、親孝行の娘の風にはならず、心はソワソワ、そして眠気との闘い。
いつも何かに追われているようで、まったく心に余裕がない。やさしい気持ちになれない。ゆったりした時間の中で季節を感じることさえ無くコンサート当日を迎える。
こんな状態で作り出す私の演奏が観客の方々の心に響くのかしら?
このことが、1番の問題。
コンサートまであと10日。
私の中で猛スピードで動いている時計を少しゆっくりさせて、大きく息を吸って、ちょっと立ち止まって、遠くを見てみよう、晩秋を感じてみよう、と思う。
落ち着いて!完璧なんかないのだから。
コンサートは、1回きり・・・。
だから、やっぱりゴールを目指して走り続けてしまう。ずっと全速力では、ゴール前で疲れ果ててしまう、とはわかっているのに。今日も、どこかを緩められない状態の私です。
いつも何かに追われているようで、まったく心に余裕がない。やさしい気持ちになれない。ゆったりした時間の中で季節を感じることさえ無くコンサート当日を迎える。
こんな状態で作り出す私の演奏が観客の方々の心に響くのかしら?
このことが、1番の問題。
コンサートまであと10日。
私の中で猛スピードで動いている時計を少しゆっくりさせて、大きく息を吸って、ちょっと立ち止まって、遠くを見てみよう、晩秋を感じてみよう、と思う。
落ち着いて!完璧なんかないのだから。
コンサートは、1回きり・・・。
だから、やっぱりゴールを目指して走り続けてしまう。ずっと全速力では、ゴール前で疲れ果ててしまう、とはわかっているのに。今日も、どこかを緩められない状態の私です。
いよいよ、音楽詩コンサート「明日へ・・・。」
吉行和子さんと、11月26日の浜離宮朝日ホールでのコンサートの打ち合わせをした。何て美しい方だ!雰囲気も声もみんな好き!ふわぁーっとした空気感と乙女のような笑顔、話しがはずむ!茨木のり子さんの詩集「歳月」から何編かの朗読をお願いしていたが、「生々しくて難しいわ」と、第一声。同感です。私も生々し過ぎて曲が付けられないのですから。でも、2編、読んで下さる。
大槌町出身の東梅洋子さんが震災直後書いた詩集「うねり」。その、素直で、真っすぐで、暖かさを感じる詩に吉行さんも「良いわね~」と。6篇も読んで下さることになった。凄い!!
北上市では、東梅さんの詩を吉行和子さんが読んで下さる、と大騒ぎ!
それと、「わたしが一番きれいだったとき」の一節。「このみち」も。
ほんとうに、こんなにたくさん朗読していただいて良いのですか???何と言う贅沢。
あ~あ~、吉行さんの朗読とジョイントできるなんて、詩を歌い続けてきた者として、
ほんとうに光栄。あ~あ~長く活動してきてほんとうに良かった。
吉行さんから頂いたメールには、
「吉岡さんの明るさに、感染して、楽しく過ごしたいと思います」と。
こちらこそ、「吉行さんのすべてに、感染して、豊かで充実した時を過ごしたいと思います。」
構成も決定した。チェロとバイオリンのインスト曲もあちこちに!!
そして合唱団は、岩手県北上市、花巻市から総勢38人駆けつけてくださる。そして、金子みすゞを歌う。
すごい!!構成を見ながらわくわくしてくる。
みんなの心がひとつになって、被災した“いのち”、これからを生きていく“いのち”に愛いっぱいに、歌い、朗読し、奏でる。そんな、コンサート。
みなさま!!11月26日、14時から、是非!!浜離宮朝日ホールへ!!
コンサート情報はこちら→
★当日寄せられた募金は、岩手県「いわて学びの希望基金」に寄付させていただきます
確かな明日へ・・・・東北の方々の力と。
3月11日、その日から、生きていること、生きること、いのちについて、みんなが想い、祈り、現在を生きています。
私の女性詩人の詩を歌う活動は、岩手県北上市・福島県福島市在住のふたりの女性詩人の詩に作曲しコンサートを開催したことから始まりました。34年前のことです。
昨春コンサートを開くことができた北上市で、被災地に少しでも生きる力を!!と、今年も、9月にチャリティ―コンサート開催に至りました。その北上市のコンサートでご一緒しているのが、女声合唱団「北上・コーラスせせらぎ」です。花巻市の「女声合唱団花野」と、今回、駆けつけてくださることになりました。両合唱団の指揮者松田順子先生とは、30年近く前からのご縁です。
チラシは、敬愛する詩人・茨木のり子さんが眠る山形県鶴岡市で、
コンサートを行った時のデザイナー高橋久史さんにお願いしました。
女優・吉行和子さんには、岩手県大槌町出身の東梅洋子さんの3.11をテーマにした詩、茨木のり子さんの没後に出版された詩集「歳月」より、数篇朗読していただきます。
みすゞ、晶子、茨木のり子、工藤直子、新川和江・・・・・「枕草子」・・・・。
詩人たちの言の葉、私の音の葉、朗読、そして東北の歌声と力が繋がり、ひとつになって響き合う晩秋コンサート。
奏でたいのです。たくさんのいのちへ、確かな明日へ・・・。
吉岡しげ美
★おかげさまで来年は、女性詩人の詩を歌う活動、35周年です。
大槌町出身の東梅洋子さんが震災直後書いた詩集「うねり」。その、素直で、真っすぐで、暖かさを感じる詩に吉行さんも「良いわね~」と。6篇も読んで下さることになった。凄い!!
北上市では、東梅さんの詩を吉行和子さんが読んで下さる、と大騒ぎ!
それと、「わたしが一番きれいだったとき」の一節。「このみち」も。
ほんとうに、こんなにたくさん朗読していただいて良いのですか???何と言う贅沢。
あ~あ~、吉行さんの朗読とジョイントできるなんて、詩を歌い続けてきた者として、
ほんとうに光栄。あ~あ~長く活動してきてほんとうに良かった。
吉行さんから頂いたメールには、
「吉岡さんの明るさに、感染して、楽しく過ごしたいと思います」と。
こちらこそ、「吉行さんのすべてに、感染して、豊かで充実した時を過ごしたいと思います。」
構成も決定した。チェロとバイオリンのインスト曲もあちこちに!!
そして合唱団は、岩手県北上市、花巻市から総勢38人駆けつけてくださる。そして、金子みすゞを歌う。
すごい!!構成を見ながらわくわくしてくる。
みんなの心がひとつになって、被災した“いのち”、これからを生きていく“いのち”に愛いっぱいに、歌い、朗読し、奏でる。そんな、コンサート。
みなさま!!11月26日、14時から、是非!!浜離宮朝日ホールへ!!
コンサート情報はこちら→
★当日寄せられた募金は、岩手県「いわて学びの希望基金」に寄付させていただきます
確かな明日へ・・・・東北の方々の力と。
3月11日、その日から、生きていること、生きること、いのちについて、みんなが想い、祈り、現在を生きています。
私の女性詩人の詩を歌う活動は、岩手県北上市・福島県福島市在住のふたりの女性詩人の詩に作曲しコンサートを開催したことから始まりました。34年前のことです。
昨春コンサートを開くことができた北上市で、被災地に少しでも生きる力を!!と、今年も、9月にチャリティ―コンサート開催に至りました。その北上市のコンサートでご一緒しているのが、女声合唱団「北上・コーラスせせらぎ」です。花巻市の「女声合唱団花野」と、今回、駆けつけてくださることになりました。両合唱団の指揮者松田順子先生とは、30年近く前からのご縁です。
チラシは、敬愛する詩人・茨木のり子さんが眠る山形県鶴岡市で、
コンサートを行った時のデザイナー高橋久史さんにお願いしました。
女優・吉行和子さんには、岩手県大槌町出身の東梅洋子さんの3.11をテーマにした詩、茨木のり子さんの没後に出版された詩集「歳月」より、数篇朗読していただきます。
みすゞ、晶子、茨木のり子、工藤直子、新川和江・・・・・「枕草子」・・・・。
詩人たちの言の葉、私の音の葉、朗読、そして東北の歌声と力が繋がり、ひとつになって響き合う晩秋コンサート。
奏でたいのです。たくさんのいのちへ、確かな明日へ・・・。
吉岡しげ美
★おかげさまで来年は、女性詩人の詩を歌う活動、35周年です。
大槌・釜石
私の大槌は こんな小さい町
アスファルトがはがれ じゃり道の45号線
信号がないから 横道がかくれている
うわっ 通り過ぎてしまった
なんでここに 車が
駐車料金とるか 一時間いくらにしようか
皆で笑った 明るい すくわれる
~ のりこえよう震災 ~ 東梅洋子・詩集『うねり』より「在所」
9月23日の北上市でのチャリティ―コンサートで、東梅洋子さんの詩集『うねり』から、数篇が朗読された。東梅さんは、いまは北上市に住んでいらっしゃるが、岩手県大槌町出身。震災後、故郷大槌町の被災とあふれ出る思いをすぐ詩に書き、詩集にまとめた。北上市在住の詩人小原麗子さんが、出来上がってすぐその詩集を私に送って下さった。詩に表わされた震災。さらっとした表現に、かえって深く、深く悲しみが私の心の中に重く沈んでひろがった。
東梅さんの詩を、11月26日に行う私のコンサートでも、数篇、吉行和子さんに朗読していただこうと思っている。
とにかく大槌に行かなくては、と、北上のコンサートの翌日大槌へ向かった。
大槌町は、町長ほか、市の多くの職員の方が命を落とされた町。
東梅さんとも待ち合わせている。待ち合わせ場所は、お寺。
途中、大槌の神社で小さくお祭りがおこなわれていた。
お寺に着き、東梅さんを待つ。
高い裏山にお墓が並ぶ。下の平地の墓石は倒れたままのものがたくさん。
裏山のお墓を背に前方に見えるものは、壊れ果てた建物が、少し。あとは瓦礫とがたがたの平地が広がっているのみ。すぐ目の前の建物の基礎が見える土地も荒れ果て、あちこちに花が手向けられている。亡くなられた方々へのお彼岸の供養・・・。ここではところどころにある雑草も元気なく枯れている。
このお寺の本堂は、ご住職ともども流されてしまったという。プレハブの本堂で、葬儀が営まれていた。喪服の方々が並び、お経があげられていた。
東梅さんは、見つかってはいないが、お彼岸になり葬式をしてけじめをつけているのだと話してくださった。東梅さんも、この町にあった家々が、いま、どこにあったかと説明できないという。
そう、待ち合わせの場所は、お寺しかなかったのだ・・・・。
東梅さんは、落ち着かない様子。なんども寒い、寒いと・・・・。この町にいるのが辛そうで、事務局長の高橋さんから、昨晩のコンサートで預かっていた東梅さん宛の花束を渡されると、足早に車に乗り去っていった。
静まり返った町。何も無い町。誰もいない町。花束だけが不思議に輝いてみえた。
あれから6カ月半もたっているのに、この風景をどのように受け止めたら良いのか。
言葉にならないというのは、こういうことなのだ、と実感した。
帰る途中。
吉里吉里地区から遠く見る海は、青く広がり、真っすぐな水平線に船が行き交う。穏やかな光景。
でも、近くに目をやると、海に面したホテルは、津波にやられガランとしたまま。
そして、少し行くと、仮設住宅が並ぶ。
青い水平線には 前に見たと同じように 船が行きかう
海は広い 大きい
そして 近い 砂浜がなくなった
手のとどく 太平洋 大好きだったのに
東梅洋子・詩集『うねり』より「あの日が現実か」
午後だと言うのに、釜石の中央通りの商店街は、もう誰も商売をしていない。それどころか、ひとの姿を見ることさえできない。どこも水が来てお店の中は物が散乱しているか、ガランとした空洞か、シヤッターは閉まっているのみ。どこもめちゃくちゃだ。
見上げれば、商店街のひさしに男ものの白い下着のシャツ。子供のブルーの絞りの帯がぶら下がっている。商店街の歩道には、脇に寄せられたがれきが連なっている。
ああ・・・。震災から、6か月半だというのに・・・。
ひとの気配のないこの町で、営業している喫茶店があると言う嬉しいニュースが入った。早速訪ねる。「タウン・ホール」。少し坂になっている道に立つ建物の2階。階段の最後の1段の前まで水がきたそうだが、浸水は免れたという。
お店に入ると大きなスピーカーからモダンジャズが響く。棚にアルバムやCDがずらっと並ぶ。
美味しいコーヒーとジャズ。ここは、3.11前と変わらぬ空間。ほっとした時を過ごすことが出来た。
この店は、今年で31年。頑張れマスター!!

帰り際、ふとお店の階下を見て、和んだ心が再び凍りつく。あるのは骨組みだけ。そして、その床には、花が手向けられていた。やはり、ここは釜石の、津波にやられた地区・・・・。
木に書かれた「負げねえぞ釜石」。そう、みんな負けてはだめなのだ。
負げねえぞ!負げねえぞ!
今日は、震災から7カ月。
10月に入って、東京もやっと涼しくなり、秋・・・。虫の声がたくさん聞こえるようになった。
その虫の声の向こうから、突然蝉の鳴き声が!!一生懸命、いのちの限り声をはっている鳴き声が痛々しい。もう鳴かないで!!いのちの最後の叫び。自分の素足に寒さを感じながら、悲しくて、悲しくて。
そして、声がきこえなくなった・・・・。心が痛み、ひりひりした。
今年の夏は、私にもいくつかの悲しい別れがあった。
いのちということを想ったり、感じるとひどく落ち込む・・・。生きていること、生きて行くことを思うと気が滅入る。特に最近・・・・・。
アスファルトがはがれ じゃり道の45号線
信号がないから 横道がかくれている
うわっ 通り過ぎてしまった
なんでここに 車が
駐車料金とるか 一時間いくらにしようか
皆で笑った 明るい すくわれる
~ のりこえよう震災 ~ 東梅洋子・詩集『うねり』より「在所」
9月23日の北上市でのチャリティ―コンサートで、東梅洋子さんの詩集『うねり』から、数篇が朗読された。東梅さんは、いまは北上市に住んでいらっしゃるが、岩手県大槌町出身。震災後、故郷大槌町の被災とあふれ出る思いをすぐ詩に書き、詩集にまとめた。北上市在住の詩人小原麗子さんが、出来上がってすぐその詩集を私に送って下さった。詩に表わされた震災。さらっとした表現に、かえって深く、深く悲しみが私の心の中に重く沈んでひろがった。
東梅さんの詩を、11月26日に行う私のコンサートでも、数篇、吉行和子さんに朗読していただこうと思っている。
とにかく大槌に行かなくては、と、北上のコンサートの翌日大槌へ向かった。
大槌町は、町長ほか、市の多くの職員の方が命を落とされた町。
東梅さんとも待ち合わせている。待ち合わせ場所は、お寺。
途中、大槌の神社で小さくお祭りがおこなわれていた。
お寺に着き、東梅さんを待つ。
高い裏山にお墓が並ぶ。下の平地の墓石は倒れたままのものがたくさん。
裏山のお墓を背に前方に見えるものは、壊れ果てた建物が、少し。あとは瓦礫とがたがたの平地が広がっているのみ。すぐ目の前の建物の基礎が見える土地も荒れ果て、あちこちに花が手向けられている。亡くなられた方々へのお彼岸の供養・・・。ここではところどころにある雑草も元気なく枯れている。
このお寺の本堂は、ご住職ともども流されてしまったという。プレハブの本堂で、葬儀が営まれていた。喪服の方々が並び、お経があげられていた。
東梅さんは、見つかってはいないが、お彼岸になり葬式をしてけじめをつけているのだと話してくださった。東梅さんも、この町にあった家々が、いま、どこにあったかと説明できないという。
そう、待ち合わせの場所は、お寺しかなかったのだ・・・・。
東梅さんは、落ち着かない様子。なんども寒い、寒いと・・・・。この町にいるのが辛そうで、事務局長の高橋さんから、昨晩のコンサートで預かっていた東梅さん宛の花束を渡されると、足早に車に乗り去っていった。
静まり返った町。何も無い町。誰もいない町。花束だけが不思議に輝いてみえた。
あれから6カ月半もたっているのに、この風景をどのように受け止めたら良いのか。
言葉にならないというのは、こういうことなのだ、と実感した。
帰る途中。
吉里吉里地区から遠く見る海は、青く広がり、真っすぐな水平線に船が行き交う。穏やかな光景。
でも、近くに目をやると、海に面したホテルは、津波にやられガランとしたまま。
そして、少し行くと、仮設住宅が並ぶ。
青い水平線には 前に見たと同じように 船が行きかう
海は広い 大きい
そして 近い 砂浜がなくなった
手のとどく 太平洋 大好きだったのに
東梅洋子・詩集『うねり』より「あの日が現実か」
午後だと言うのに、釜石の中央通りの商店街は、もう誰も商売をしていない。それどころか、ひとの姿を見ることさえできない。どこも水が来てお店の中は物が散乱しているか、ガランとした空洞か、シヤッターは閉まっているのみ。どこもめちゃくちゃだ。
見上げれば、商店街のひさしに男ものの白い下着のシャツ。子供のブルーの絞りの帯がぶら下がっている。商店街の歩道には、脇に寄せられたがれきが連なっている。
ああ・・・。震災から、6か月半だというのに・・・。
ひとの気配のないこの町で、営業している喫茶店があると言う嬉しいニュースが入った。早速訪ねる。「タウン・ホール」。少し坂になっている道に立つ建物の2階。階段の最後の1段の前まで水がきたそうだが、浸水は免れたという。
お店に入ると大きなスピーカーからモダンジャズが響く。棚にアルバムやCDがずらっと並ぶ。
美味しいコーヒーとジャズ。ここは、3.11前と変わらぬ空間。ほっとした時を過ごすことが出来た。
この店は、今年で31年。頑張れマスター!!
帰り際、ふとお店の階下を見て、和んだ心が再び凍りつく。あるのは骨組みだけ。そして、その床には、花が手向けられていた。やはり、ここは釜石の、津波にやられた地区・・・・。
木に書かれた「負げねえぞ釜石」。そう、みんな負けてはだめなのだ。
負げねえぞ!負げねえぞ!
今日は、震災から7カ月。
10月に入って、東京もやっと涼しくなり、秋・・・。虫の声がたくさん聞こえるようになった。
その虫の声の向こうから、突然蝉の鳴き声が!!一生懸命、いのちの限り声をはっている鳴き声が痛々しい。もう鳴かないで!!いのちの最後の叫び。自分の素足に寒さを感じながら、悲しくて、悲しくて。
そして、声がきこえなくなった・・・・。心が痛み、ひりひりした。
今年の夏は、私にもいくつかの悲しい別れがあった。
いのちということを想ったり、感じるとひどく落ち込む・・・。生きていること、生きて行くことを思うと気が滅入る。特に最近・・・・・。
北上市・チャリティ―コンサート
今年の春に予定されていた北上市のコンサート。震災により中止となり、チャリティ―コンサートとして、9月23日に行われた。
コンサート当日、大宮であった「はやぶさ」。かわいい顔に「がんばれ東北」。颯爽と走って行く姿をみて、こみあげてくるものがあった。山形、仙台、そして今回、新幹線からみる景色に思う事はいつも同じ。「何もなかったように、畑も木々も緑は輝き、空も空気も澄んでいる。」「東北はどこも美しい風景だったのだ」「見えないんだ、放射能」。
北上の駅で、「あれっ?」の出会い。すっぴん顔の私をみて「吉岡さん??!!」という顔をしている方が・・。「あれ??Hさん??!!ここ北上だけれど、Hさん??!」と私。Hさんとは、東京のコンサートに来て下さっている方で、7月31日の鶴岡のコンサートにも来てくださった方。水戸にお住まいの方。やっぱりHさんでした。え~っ、北上に来て下さるなんて、本当に嬉しい!!
会場のさくらホールに到着すると、事務局長の高橋みよ子さん、実行委員の方々が。
お久し振り!お元気そうで、良かった!!
さくらホールも地震の被害を受け、しばらく閉館していたとのこと。今は、以前と同じ活気に満ちている、良かった!良かった!
今回のチャリティ―コンサート、私も実行委員のひとり。東京に住んでいるので、チケットを売ることが出来ない分、一生懸命歌いに来た。着いてすぐに1部のリハーサル。何せ、舞台の総合監督兼進行役なので・・・。
楽屋に行くと、漬物があったりして、本当にあたたかい。
今回のコンサートのプログラムは、
プロローグ
「昔の街並み」詩・朗読:東梅洋子
「うねり」(詩:東梅洋子)より●「3月11日の午後」ほか(3名朗読)
1部
1、「雨にも負けず」(詩:宮沢賢治)合唱:北上合唱アカデミー
2、「七つのこもりうた」(詩;小野寺悦子、作曲:吉岡しげ美)より●タネのうた●ーあよるがきた●とうさん七つに 合唱;コーラスせせらぎ 、朗読:小野寺悦子、指揮:松田順子
3、詩の朗読と歌による「金子みすゞの世界」
朗読:詩の会の方々、歌:吉岡しげ美、北上・コーラスせせらぎ
●朗読:「犬」、歌:「犬」
●朗読:「リンゴの畑」
●朗読:「男の子」
●朗読:「障子」
●朗読:「お魚」、歌:「お魚」
●合唱:「ふしぎ」「わらひ」(北上・コーラスせせらぎ)
2部 「吉岡しげ美・日本の女性詩人の詩、短歌を歌う」
歌・ピアノ:吉岡しげ美、チェロ:町田正行、朗読:小野寺悦子
1、「子供の踊り」(与謝野晶子)
2、「桜花・・・」「いよよ華やぐ・・・」(岡本かの子)
3、「枕草子」(清少納言)
4、「君死にたまふことなかれ」(与謝野晶子)
5、「わたしが一番きれいだったとき」(茨木のり子)
6、「いのち」(工藤直子)
7、「明日」(金子みすゞ)
8、「このみち」(金子みすゞ)(吉岡しげ美+合唱団)
9、「緑の星に」(小林カツ代)
プロローグにある「うねり」は、大槌町出身の東梅洋子さんが、3.11直後に故郷大槌と震災をテーマに書いた詩集で、北上市在住の詩人、小原麗子さんが私にも送って下さった。
「七つのこもりうた」は、約25年ほどまえに、岩手放送局の芸術祭参加作品として書きおろしたもので、その時の指揮者も今回と同じ松田順子先生。松田先生、詩の小野寺悦子さん、作曲の私、長い年月を経て、3人が同じステジ―に立っているなんて・・・・。
感激、という言葉を口に出してしまうと薄っぺらくなってしまう・・そのような思いでいっぱいだった。
1部は、岩手県、そして北上市ならではのプログラム。祈りに満ちたステージだった。
2部は、私のコンサート。昨年と同じホール。たくさんの方々、そして拍手。
一見何も変わっていないのに、空気の重さ・・・。
当たり前、会場には、肉親や友人、知人が被災された方がたくさんいらっしゃるし、亡くなられたかただって・・・・。
私の発する音楽が震災の苦悩と混じり合い私の方に逆に押し寄せてくる。震災を体中で感じた。自分が歌い、語ることの小ささに心が空しくなり、身体だけがカチカチに固まった。
女性詩人の詩を歌う活動の意味さえ心の中で浮遊した。
北上のみなさんとチャリティ―コンサートを!!と、準備し、飛んできたのに。
女性詩人の詩を歌うという活動で最初に作曲した詩人、小原麗子さんの暮らす北上市は私の活動のルーツ。35年間、ずっと私の心の中にあった。だから、昨年、その北上市でコンサートを開けたのだから、感動し、生きていてよかったと心底思った。
でも、今回、震災後の岩手県北上市でのチャリティ―コンサートで、35年前、小原さんの詩に曲を付けた時と同じような事を感じた。
本質的な事は何も分かっていない、分かるはずがない、ということ。
大震災は日本の出来ごと。でも、東京の私は、空回りしているだけなのかもしれないと。
あれから、35年も歳を重ね、いまだに、このようなことしか感じられない自分が情けないし、本当に参る。
その晩の打ち上げで、私は酔えなかった。
コンサート当日、大宮であった「はやぶさ」。かわいい顔に「がんばれ東北」。颯爽と走って行く姿をみて、こみあげてくるものがあった。山形、仙台、そして今回、新幹線からみる景色に思う事はいつも同じ。「何もなかったように、畑も木々も緑は輝き、空も空気も澄んでいる。」「東北はどこも美しい風景だったのだ」「見えないんだ、放射能」。
北上の駅で、「あれっ?」の出会い。すっぴん顔の私をみて「吉岡さん??!!」という顔をしている方が・・。「あれ??Hさん??!!ここ北上だけれど、Hさん??!」と私。Hさんとは、東京のコンサートに来て下さっている方で、7月31日の鶴岡のコンサートにも来てくださった方。水戸にお住まいの方。やっぱりHさんでした。え~っ、北上に来て下さるなんて、本当に嬉しい!!
会場のさくらホールに到着すると、事務局長の高橋みよ子さん、実行委員の方々が。
お久し振り!お元気そうで、良かった!!
さくらホールも地震の被害を受け、しばらく閉館していたとのこと。今は、以前と同じ活気に満ちている、良かった!良かった!
今回のチャリティ―コンサート、私も実行委員のひとり。東京に住んでいるので、チケットを売ることが出来ない分、一生懸命歌いに来た。着いてすぐに1部のリハーサル。何せ、舞台の総合監督兼進行役なので・・・。
楽屋に行くと、漬物があったりして、本当にあたたかい。
今回のコンサートのプログラムは、
プロローグ
「昔の街並み」詩・朗読:東梅洋子
「うねり」(詩:東梅洋子)より●「3月11日の午後」ほか(3名朗読)
1部
1、「雨にも負けず」(詩:宮沢賢治)合唱:北上合唱アカデミー
2、「七つのこもりうた」(詩;小野寺悦子、作曲:吉岡しげ美)より●タネのうた●ーあよるがきた●とうさん七つに 合唱;コーラスせせらぎ 、朗読:小野寺悦子、指揮:松田順子
3、詩の朗読と歌による「金子みすゞの世界」
朗読:詩の会の方々、歌:吉岡しげ美、北上・コーラスせせらぎ
●朗読:「犬」、歌:「犬」
●朗読:「リンゴの畑」
●朗読:「男の子」
●朗読:「障子」
●朗読:「お魚」、歌:「お魚」
●合唱:「ふしぎ」「わらひ」(北上・コーラスせせらぎ)
2部 「吉岡しげ美・日本の女性詩人の詩、短歌を歌う」
歌・ピアノ:吉岡しげ美、チェロ:町田正行、朗読:小野寺悦子
1、「子供の踊り」(与謝野晶子)
2、「桜花・・・」「いよよ華やぐ・・・」(岡本かの子)
3、「枕草子」(清少納言)
4、「君死にたまふことなかれ」(与謝野晶子)
5、「わたしが一番きれいだったとき」(茨木のり子)
6、「いのち」(工藤直子)
7、「明日」(金子みすゞ)
8、「このみち」(金子みすゞ)(吉岡しげ美+合唱団)
9、「緑の星に」(小林カツ代)
プロローグにある「うねり」は、大槌町出身の東梅洋子さんが、3.11直後に故郷大槌と震災をテーマに書いた詩集で、北上市在住の詩人、小原麗子さんが私にも送って下さった。
「七つのこもりうた」は、約25年ほどまえに、岩手放送局の芸術祭参加作品として書きおろしたもので、その時の指揮者も今回と同じ松田順子先生。松田先生、詩の小野寺悦子さん、作曲の私、長い年月を経て、3人が同じステジ―に立っているなんて・・・・。
感激、という言葉を口に出してしまうと薄っぺらくなってしまう・・そのような思いでいっぱいだった。
1部は、岩手県、そして北上市ならではのプログラム。祈りに満ちたステージだった。
2部は、私のコンサート。昨年と同じホール。たくさんの方々、そして拍手。
一見何も変わっていないのに、空気の重さ・・・。
当たり前、会場には、肉親や友人、知人が被災された方がたくさんいらっしゃるし、亡くなられたかただって・・・・。
私の発する音楽が震災の苦悩と混じり合い私の方に逆に押し寄せてくる。震災を体中で感じた。自分が歌い、語ることの小ささに心が空しくなり、身体だけがカチカチに固まった。
女性詩人の詩を歌う活動の意味さえ心の中で浮遊した。
北上のみなさんとチャリティ―コンサートを!!と、準備し、飛んできたのに。
女性詩人の詩を歌うという活動で最初に作曲した詩人、小原麗子さんの暮らす北上市は私の活動のルーツ。35年間、ずっと私の心の中にあった。だから、昨年、その北上市でコンサートを開けたのだから、感動し、生きていてよかったと心底思った。
でも、今回、震災後の岩手県北上市でのチャリティ―コンサートで、35年前、小原さんの詩に曲を付けた時と同じような事を感じた。
本質的な事は何も分かっていない、分かるはずがない、ということ。
大震災は日本の出来ごと。でも、東京の私は、空回りしているだけなのかもしれないと。
あれから、35年も歳を重ね、いまだに、このようなことしか感じられない自分が情けないし、本当に参る。
その晩の打ち上げで、私は酔えなかった。
9月11日は、私の誕生日。そして・・・。
9月11日。今日は、私の誕生日。あの9.11の日。そして、東日本大震災から半年。いつのまにか、誕生日が、私個人のものではなく、大きな出来事、それもとんでもなく悲しい出来事のメモリアルディになってしまった。だから、今日は、誕生日だというのに、いつもより気持ちが重い。
先日、仙台の東北放送のラジオ番組に出演し、番組終了後パーソナリティーの方と、被災地名取市閖上地区へ。とんでもないところに車が。一階が吹き抜け状態の二階建も。学校の校舎の横に何故か船が。それでも瓦礫は殆んど撤去され、今は平地が広がっている。この地区を今まで訪れたことがない私は、最初のうちはその平地を風景として受け入れてしまっている感さえあった。でも違うのだ!!その平地は、ただの平地では無かった。地面をよく見ると家の基礎がたくさんある。ここは、たくさんの家が立ち並んでいた集落だったのだ、と、はっとする。どきっとする。そうなんだ、ここは、たくさんの家が、みんな壊され、流されたのだ、と。ここには、日々を重ねてきたひとの暮らしと歴史があった。朝、昼、晩、・・・人々の生きている日常と空気感があった。人々の喜怒哀楽があった。そして、そして、そして・・・・・。でも、いまは、ひとの暮らしが、一面に広がる、元気な雑草で覆われている。その緑の平地が、こともあろうに輝いて見える。トンボまで平和に飛んでいる。海も何も無かったように波を寄せている。何も無かったように・・・。自然は強い、強すぎる。自然は今まで通り。何も無かったように・・・。でも、あの一瞬から失われたひとと今までの生活は戻ってこない。そして、事実として、ひとの中で震災は永遠に生き続ける。
その後、震災から半年なので、震災のお見舞いの気持ちを伝えたくて、仙台市内の知人を訪ねる。
新聞社の女性記者Sさんは、心配になるくらいとても疲れているようだった。本人も被災者で、当初2人の子供を会社に連れて来て、震災の取材活動を行ってきたという。本人曰く、「今になって、疲れが出てきたのかもしれない」と。そうでしょう、未曾有の災害の被災地の記者として、母として、ずっと大変な緊張とストレスの中にいたのですもの。
つまらない話しかできなかった自分を恥じる思いで彼女の新聞社を後にした。
女性センターでは、支援、避難所生活の現実を細かく話していただき、見えなかった事、気がつかなかったこと、問題点が、具体的に少しは理解できたような気がし、これから私の出来ることがイメージではなくちょっぴり掴めたような。特に女性と子供の問題は深くて、広くて大きい。
議員の友人も、現実を見続けてきた復興についての思いは重く、熱かった。
3月11日からの半年。私の生きてきた半年と被災地の半年。当然ながらその重みの違いは大きかった。被災者の方それぞれの苦悩と問題は、計り知れないものがあり、日々現実を背負いながら生きている方々を思うと、震災について軽々と言葉を発することはできない。心底そう思う。
またまたその後、松島へ行った。松島は元気だった。元気になろうとしている。

今までの観光地松島への復興に一生懸命だ。みんなの一生懸命に協力しなくちゃ!と、怖くてたまらなかったけれど遊覧船に乗る。海を見ているだけで怖い。でも大きく息を吸って乗る。おびただしい数のかもめが鳴きながらどこまでも飛んで付いてくる。自然と一緒に生きているその力強さは半端じゃない。風に逆らい一直線に飛んでくる。

自然の強さと共に生きること。人間にとって弱いこと。私にとっては、最も、最も弱いこと。
私も生きものなのにね。
先日、仙台の東北放送のラジオ番組に出演し、番組終了後パーソナリティーの方と、被災地名取市閖上地区へ。とんでもないところに車が。一階が吹き抜け状態の二階建も。学校の校舎の横に何故か船が。それでも瓦礫は殆んど撤去され、今は平地が広がっている。この地区を今まで訪れたことがない私は、最初のうちはその平地を風景として受け入れてしまっている感さえあった。でも違うのだ!!その平地は、ただの平地では無かった。地面をよく見ると家の基礎がたくさんある。ここは、たくさんの家が立ち並んでいた集落だったのだ、と、はっとする。どきっとする。そうなんだ、ここは、たくさんの家が、みんな壊され、流されたのだ、と。ここには、日々を重ねてきたひとの暮らしと歴史があった。朝、昼、晩、・・・人々の生きている日常と空気感があった。人々の喜怒哀楽があった。そして、そして、そして・・・・・。でも、いまは、ひとの暮らしが、一面に広がる、元気な雑草で覆われている。その緑の平地が、こともあろうに輝いて見える。トンボまで平和に飛んでいる。海も何も無かったように波を寄せている。何も無かったように・・・。自然は強い、強すぎる。自然は今まで通り。何も無かったように・・・。でも、あの一瞬から失われたひとと今までの生活は戻ってこない。そして、事実として、ひとの中で震災は永遠に生き続ける。
その後、震災から半年なので、震災のお見舞いの気持ちを伝えたくて、仙台市内の知人を訪ねる。
新聞社の女性記者Sさんは、心配になるくらいとても疲れているようだった。本人も被災者で、当初2人の子供を会社に連れて来て、震災の取材活動を行ってきたという。本人曰く、「今になって、疲れが出てきたのかもしれない」と。そうでしょう、未曾有の災害の被災地の記者として、母として、ずっと大変な緊張とストレスの中にいたのですもの。
つまらない話しかできなかった自分を恥じる思いで彼女の新聞社を後にした。
女性センターでは、支援、避難所生活の現実を細かく話していただき、見えなかった事、気がつかなかったこと、問題点が、具体的に少しは理解できたような気がし、これから私の出来ることがイメージではなくちょっぴり掴めたような。特に女性と子供の問題は深くて、広くて大きい。
議員の友人も、現実を見続けてきた復興についての思いは重く、熱かった。
3月11日からの半年。私の生きてきた半年と被災地の半年。当然ながらその重みの違いは大きかった。被災者の方それぞれの苦悩と問題は、計り知れないものがあり、日々現実を背負いながら生きている方々を思うと、震災について軽々と言葉を発することはできない。心底そう思う。
またまたその後、松島へ行った。松島は元気だった。元気になろうとしている。
今までの観光地松島への復興に一生懸命だ。みんなの一生懸命に協力しなくちゃ!と、怖くてたまらなかったけれど遊覧船に乗る。海を見ているだけで怖い。でも大きく息を吸って乗る。おびただしい数のかもめが鳴きながらどこまでも飛んで付いてくる。自然と一緒に生きているその力強さは半端じゃない。風に逆らい一直線に飛んでくる。
自然の強さと共に生きること。人間にとって弱いこと。私にとっては、最も、最も弱いこと。
私も生きものなのにね。
山形チャリティ―ツアー、そして「茨木のり子さんに捧ぐ」
7月末の山形チャリティ―ツアーは、実り多いものでした。

7月30日は、「がんばろう東北『みんなで行こうよ、この道を』~響け歌声 届けよう支援の輪~◆東日本大震災・山形身体表現の会ダンス公演支援“吉岡しげ美チャリティ―コンサート”」。会場となった山形テルサホールには、開場前から観客の方が長く列を作ってお待ちになっているほどたくさんの方がいらっしゃいました。
地元ゲストのヴァイオリニスト、女声合唱団、朗読、マーチングバンド、身体表現の会のみなさん、それぞれに元気で個性的で、私も元気もりもり。今回初めて山形で歌う私です。
大いに張り切ってしましました。そして、私とジョイントしてくださった宮城県内を中心に活躍中のチェリスト、塚野淳一さんの被災者としてのお話には、心打たれるばかりでした。
みんなの熱い思いがひとつになって盛り上がったチャリティ―コンサート。がんばろう東北!の輪に入れていただきありがたく思っています。

(コンサート終了後、出演者と実行委員の方々と。)
山形市でのコンサートが終わり、その夜鶴岡市へ。
31日は、茨木のり子さんが眠る鶴岡市で、ミニコンサート、「吉岡しげ美in鶴岡~茨木のり子さんに捧ぐ~」なのです。
ずっと茨木さんのお墓参りがしたい、機会があったら鶴岡で茨木さんの詩を歌いたいと思い続けてきました。それらが、同時に実現することになったのです。
31日、午前中は茨木のり子さんが眠る加茂・浄禅寺にお墓参りにうかいました。日本海が見える山腹にお寺はあり、ご住職の西方信夫さんが明るく迎えてくださいました。
そして、茨木さんのお墓へ。ああ、ここが・・・・。
「茨木さん、ご無沙汰いたしておりました。今日ここに伺えて本当に感無量です。・・・・・・・・・」。たくさんのことを心の中でお話して手を合わせました。

(茨木さんのお墓の前で、ご住職の西方さんと)
さすが茨木さんの菩提寺。本堂には「茨木のり子コーナー」があり、茨木さんのさまざまな資料が並べられてありました。

ああ、良かった!お墓参りが出来て!!ホッとした気持ちと同時に、茨木さんに久しぶりにお会いできたような嬉しさがこみ上げて来ました。
午後からのコンサートは、鶴岡カトリック教会天主堂。国の重要文化財に指定されている教会だそうで、そこにグランドピアノを運んでのコンサートでした。主催は、「茨木のり子六月の会」。たくさんの方々が一生懸命会場設営をしてくださいました。会場は満席。


プログラムは、
*生きているもの・死んでいるもの
*小さな娘が思ったこと
*女の子のマーチ
*怒るときと許すとき
~対談~
*大学を出た奥さん
*あほらしい唄
~詩集「歳月」の朗読とピアノ
*わたしが一番きれいだったとき
*六月

対談コーナーは、大変なサプライズ!!昭和24年4月から、茨木のり子さんのご実家の宮崎医院に行儀見習いに入り、茨木さんが結婚する秋まで生活を共にされた岡田幸子さんが、なんと愛知県吉良町からお孫さんにエスコートされ駆け付けてくださったのです。「鶴岡で吉岡さんがミニコンサートをなさると、六月の会の通信で知りました。以前、茨木さんから、『私の詩に曲をつけ歌っている吉岡しげ美さんがラジオに出るので聞いてください』と、電話をいただきました。それから、吉岡さんのことは知っていました。」とのこと。それが、何時ごろのことだったのか?茨木さんがわざわざお電話なさったとは・・・・。信じられないことでした。でも、嬉しくて、嬉しくて・・・。愛の尊さのようなものを感じ、心がジ~ンと熱くなり、茨木さんの詩を歌っていることで茨木さんと繋がっているのだ、と確かなものを感じることが出来ました。

(愛知から駆け付けてくださつた岡田幸子さんと)
私の歌う茨木さんの詩にじっと耳を傾けて下さる観客の方々、みなさん茨木さんが大好きな方々ばかり。「まるで今日は法事のようなミニコンサートでしたね。」と、同行した友人。本当に、あたたかいひとときでした。
受験の時に、茨木さんの保谷のご自宅にしばらくいらしたという甥の三浦さんにもお目にかかりました。20年ほど前、FM放送で私が東京芸術劇場でコンサートをするということを知り、行きたかったが鶴岡に戻らなければならなくて諦めた、と言う方が、当時発売していたテープを持参していらっしゃいました。いつも東京でのコンサートに来て下さる方が、わざわざ茨木県水戸市から来て下さいました。サプライズ続きの鶴岡コンサートでした。
私にとって大事件だった茨木さんのお墓参りとミニコンサート。あの日から、茨木さんが、すぐ傍にいらっしゃるようで・・・・。なんだか心強いし、思わずニコッとしてしまいます。これからも、茨木さんをずっと歌っていきます。いつも傍にいてくださいね。
ミニコンサートの後、酒田へ。次の日、10月に予定されている中学校でのコンサートの打ち合わせをして、「コミセン・歌声喫茶」なる中高年がたくさん集まっておられるところで、みすゞを歌って、山形ツアーは終わりました。
山形での、盛りだくさんの初歌い!!ああ、良かった!良かった!とっても良かった!!
7月30日は、「がんばろう東北『みんなで行こうよ、この道を』~響け歌声 届けよう支援の輪~◆東日本大震災・山形身体表現の会ダンス公演支援“吉岡しげ美チャリティ―コンサート”」。会場となった山形テルサホールには、開場前から観客の方が長く列を作ってお待ちになっているほどたくさんの方がいらっしゃいました。
地元ゲストのヴァイオリニスト、女声合唱団、朗読、マーチングバンド、身体表現の会のみなさん、それぞれに元気で個性的で、私も元気もりもり。今回初めて山形で歌う私です。
大いに張り切ってしましました。そして、私とジョイントしてくださった宮城県内を中心に活躍中のチェリスト、塚野淳一さんの被災者としてのお話には、心打たれるばかりでした。
みんなの熱い思いがひとつになって盛り上がったチャリティ―コンサート。がんばろう東北!の輪に入れていただきありがたく思っています。
(コンサート終了後、出演者と実行委員の方々と。)
山形市でのコンサートが終わり、その夜鶴岡市へ。
31日は、茨木のり子さんが眠る鶴岡市で、ミニコンサート、「吉岡しげ美in鶴岡~茨木のり子さんに捧ぐ~」なのです。
ずっと茨木さんのお墓参りがしたい、機会があったら鶴岡で茨木さんの詩を歌いたいと思い続けてきました。それらが、同時に実現することになったのです。
31日、午前中は茨木のり子さんが眠る加茂・浄禅寺にお墓参りにうかいました。日本海が見える山腹にお寺はあり、ご住職の西方信夫さんが明るく迎えてくださいました。
そして、茨木さんのお墓へ。ああ、ここが・・・・。
「茨木さん、ご無沙汰いたしておりました。今日ここに伺えて本当に感無量です。・・・・・・・・・」。たくさんのことを心の中でお話して手を合わせました。
(茨木さんのお墓の前で、ご住職の西方さんと)
さすが茨木さんの菩提寺。本堂には「茨木のり子コーナー」があり、茨木さんのさまざまな資料が並べられてありました。
ああ、良かった!お墓参りが出来て!!ホッとした気持ちと同時に、茨木さんに久しぶりにお会いできたような嬉しさがこみ上げて来ました。
午後からのコンサートは、鶴岡カトリック教会天主堂。国の重要文化財に指定されている教会だそうで、そこにグランドピアノを運んでのコンサートでした。主催は、「茨木のり子六月の会」。たくさんの方々が一生懸命会場設営をしてくださいました。会場は満席。

プログラムは、
*生きているもの・死んでいるもの
*小さな娘が思ったこと
*女の子のマーチ
*怒るときと許すとき
~対談~
*大学を出た奥さん
*あほらしい唄
~詩集「歳月」の朗読とピアノ
*わたしが一番きれいだったとき
*六月
対談コーナーは、大変なサプライズ!!昭和24年4月から、茨木のり子さんのご実家の宮崎医院に行儀見習いに入り、茨木さんが結婚する秋まで生活を共にされた岡田幸子さんが、なんと愛知県吉良町からお孫さんにエスコートされ駆け付けてくださったのです。「鶴岡で吉岡さんがミニコンサートをなさると、六月の会の通信で知りました。以前、茨木さんから、『私の詩に曲をつけ歌っている吉岡しげ美さんがラジオに出るので聞いてください』と、電話をいただきました。それから、吉岡さんのことは知っていました。」とのこと。それが、何時ごろのことだったのか?茨木さんがわざわざお電話なさったとは・・・・。信じられないことでした。でも、嬉しくて、嬉しくて・・・。愛の尊さのようなものを感じ、心がジ~ンと熱くなり、茨木さんの詩を歌っていることで茨木さんと繋がっているのだ、と確かなものを感じることが出来ました。
(愛知から駆け付けてくださつた岡田幸子さんと)
私の歌う茨木さんの詩にじっと耳を傾けて下さる観客の方々、みなさん茨木さんが大好きな方々ばかり。「まるで今日は法事のようなミニコンサートでしたね。」と、同行した友人。本当に、あたたかいひとときでした。
受験の時に、茨木さんの保谷のご自宅にしばらくいらしたという甥の三浦さんにもお目にかかりました。20年ほど前、FM放送で私が東京芸術劇場でコンサートをするということを知り、行きたかったが鶴岡に戻らなければならなくて諦めた、と言う方が、当時発売していたテープを持参していらっしゃいました。いつも東京でのコンサートに来て下さる方が、わざわざ茨木県水戸市から来て下さいました。サプライズ続きの鶴岡コンサートでした。
私にとって大事件だった茨木さんのお墓参りとミニコンサート。あの日から、茨木さんが、すぐ傍にいらっしゃるようで・・・・。なんだか心強いし、思わずニコッとしてしまいます。これからも、茨木さんをずっと歌っていきます。いつも傍にいてくださいね。
ミニコンサートの後、酒田へ。次の日、10月に予定されている中学校でのコンサートの打ち合わせをして、「コミセン・歌声喫茶」なる中高年がたくさん集まっておられるところで、みすゞを歌って、山形ツアーは終わりました。
山形での、盛りだくさんの初歌い!!ああ、良かった!良かった!とっても良かった!!
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